ただいま
2011-09-12(Mon)
いつもご来訪ありがとうございます♪
無事帰ってまいりました~。
で、まぁ、色々と写真を撮ってきたので怒濤のごとくアップ。ちょっとたくさんアップしますが、ま、久しぶりなのでいいでしょうってことにしておいてください。
って、なにをしに行ってきたんだ~という質問は、なぁなぁでvv
まぁ、95歳の祖母なので、悲しみは悲しみとして、大往生だったのには違いないと思うのでした。
誕生日の翌日に息を引き取ったそうです。
で、ちょっとオカルトよりの話題になりますと、魚里の背後霊は父らしい。で、半分だけvv 何となくそんな気がすると従姉妹が言っていましたが。やっぱ、祖母の所に半分行っていたらしいですね~。ただ、今は完璧になってるのかどうかは、見えないので判りませんが。それに釣り合わすためかどうか、久しぶりに引っ張りだしたベネトンの旅行用の鞄の脇ポケットに、父の写真が二葉。誰もその存在を知らなかった写真と言うのがミソでしょう。まぁ、父が出張とか言うと魚里がその鞄を貸していたので、入れたまま忘れてたのが本当の所でしょうけどね。
以下写真です。
こりは~ずいぶんと前にアップしようと忘れてたダイゴの肉球。ついでなのでアップ。タイトルは「和みの肉球」vv

出発駅。切符を買わずに飛び乗り。あ、ちゃんとここからの切符は買いましたが。新幹線は買ってないのね~。やっぱり、突然のことだから。準備はない。高松駅で乗り換え3分と言われて走りました。

田舎だねぇ。中途半端にvv

新幹線さくら号です。おかげさまで我が家からだいたい八時間かかっていたのが六時間に短縮です。って、岡山からはだいたい四時間くらいなのかな? 忘れました。博多で乗り換えなくていいって言うのが楽ですvv

旅の楽しみでしょうか。まぁ、理由は理由として、旅には違いないvv ホームのキオスクで。ほとんど売り切れていたのでしかたないvv 山田養蜂場とのコラボらしい。

中はこんなものよね~vv

携帯メールでPCに送ったので、トリミングが謎なのでちっこいです。
到着駅。ここからは迎えにきてもらって車です。昔は一時間近くかかった記憶があるんだけど、あれ? 昔はね~楠木とかなんとかって駅があったのですが、廃駅及び廃線されて以来、JRも私鉄もないときたもんだvv ま、その駅までも遠かったんですけどね。

葬儀場の近くにあった、大伴家持像。なんでも、国司として赴任してたことがあるらしい。昔はその地方の中心地だったらしいですね~。

上の説明文。

よく知りませんが、短歌。厚見王と言う方の句だそうです。

ここからは翌朝。葬式当日の朝ですね。
似たような写真なので説明は省略vv カッパが出るらしい山の周辺。






どれだけ田舎だ~って感じですがvv もう少しでみーさんとニアミス。

このイモの葉の陰にいたらしい。するりと黒い影が逃げてゆくのだけ見ました。

これが~なんとかって茎を食べるイモ。名前をど忘れです。

鹿児島といえば竹なのだそうですが。九州と言えば竹だっけ?

立派な竹林。

ひとりで散歩に入る勇気はないvv

祖母の家。

形見分けで魚里が貰ってきたものたち。
なんでも、祖母の兄がシベリア抑留中に描いたという油絵。陸軍中尉さんだったらしいです。裏書きあり。
で、ドイツ人捕虜らしき某さんに頼んで白樺を持ってきてもらって描いたとありました。白樺に描かれてます。だれも欲しいと言う人がいなかったので。

これを見ると鹿児島に帰ってきたなぁと思ってた、仏壇の脇に置かれていた花瓶。首の両脇についてるシャチらしきものがチャーミングですvv

これは、ただ一目惚れ。カラフルでお茶目で可愛らしいシーサーさん。

お葬式はやっぱり寂しいですが、魚里なぜか涙が出なかったです。ううむ。情が薄いのかな?
祖母のエピソードとして、敗戦後すぐ、買い出しに父を背負って出かけた祖母にMPが「送ってやろうか?」と声をかけたらしい。で、祖母はそれに答えてジープに乗って送ってもらったらしいです。帰りは断ったそうですが。周囲が「なんてあぶないことを」と呆れてたらしいvv
「目を見たら悪い人じゃないとわかった」というのが祖母のいい分だったそうですがvv 度胸はあったのね。
警察官だった祖父について渡った朝鮮から、祖父が抑留(?)されたため当時父とすぐ下の妹だけだったこどもふたりをつれて日本まで帰ってきた経験が、肝を太くしたのかなぁ。
無事帰ってまいりました~。
で、まぁ、色々と写真を撮ってきたので怒濤のごとくアップ。ちょっとたくさんアップしますが、ま、久しぶりなのでいいでしょうってことにしておいてください。
って、なにをしに行ってきたんだ~という質問は、なぁなぁでvv
まぁ、95歳の祖母なので、悲しみは悲しみとして、大往生だったのには違いないと思うのでした。
誕生日の翌日に息を引き取ったそうです。
で、ちょっとオカルトよりの話題になりますと、魚里の背後霊は父らしい。で、半分だけvv 何となくそんな気がすると従姉妹が言っていましたが。やっぱ、祖母の所に半分行っていたらしいですね~。ただ、今は完璧になってるのかどうかは、見えないので判りませんが。それに釣り合わすためかどうか、久しぶりに引っ張りだしたベネトンの旅行用の鞄の脇ポケットに、父の写真が二葉。誰もその存在を知らなかった写真と言うのがミソでしょう。まぁ、父が出張とか言うと魚里がその鞄を貸していたので、入れたまま忘れてたのが本当の所でしょうけどね。
以下写真です。
こりは~ずいぶんと前にアップしようと忘れてたダイゴの肉球。ついでなのでアップ。タイトルは「和みの肉球」vv

出発駅。切符を買わずに飛び乗り。あ、ちゃんとここからの切符は買いましたが。新幹線は買ってないのね~。やっぱり、突然のことだから。準備はない。高松駅で乗り換え3分と言われて走りました。

田舎だねぇ。中途半端にvv

新幹線さくら号です。おかげさまで我が家からだいたい八時間かかっていたのが六時間に短縮です。って、岡山からはだいたい四時間くらいなのかな? 忘れました。博多で乗り換えなくていいって言うのが楽ですvv

旅の楽しみでしょうか。まぁ、理由は理由として、旅には違いないvv ホームのキオスクで。ほとんど売り切れていたのでしかたないvv 山田養蜂場とのコラボらしい。

中はこんなものよね~vv

携帯メールでPCに送ったので、トリミングが謎なのでちっこいです。
到着駅。ここからは迎えにきてもらって車です。昔は一時間近くかかった記憶があるんだけど、あれ? 昔はね~楠木とかなんとかって駅があったのですが、廃駅及び廃線されて以来、JRも私鉄もないときたもんだvv ま、その駅までも遠かったんですけどね。

葬儀場の近くにあった、大伴家持像。なんでも、国司として赴任してたことがあるらしい。昔はその地方の中心地だったらしいですね~。

上の説明文。

よく知りませんが、短歌。厚見王と言う方の句だそうです。

ここからは翌朝。葬式当日の朝ですね。
似たような写真なので説明は省略vv カッパが出るらしい山の周辺。






どれだけ田舎だ~って感じですがvv もう少しでみーさんとニアミス。

このイモの葉の陰にいたらしい。するりと黒い影が逃げてゆくのだけ見ました。

これが~なんとかって茎を食べるイモ。名前をど忘れです。

鹿児島といえば竹なのだそうですが。九州と言えば竹だっけ?

立派な竹林。

ひとりで散歩に入る勇気はないvv

祖母の家。

形見分けで魚里が貰ってきたものたち。
なんでも、祖母の兄がシベリア抑留中に描いたという油絵。陸軍中尉さんだったらしいです。裏書きあり。
で、ドイツ人捕虜らしき某さんに頼んで白樺を持ってきてもらって描いたとありました。白樺に描かれてます。だれも欲しいと言う人がいなかったので。

これを見ると鹿児島に帰ってきたなぁと思ってた、仏壇の脇に置かれていた花瓶。首の両脇についてるシャチらしきものがチャーミングですvv

これは、ただ一目惚れ。カラフルでお茶目で可愛らしいシーサーさん。

お葬式はやっぱり寂しいですが、魚里なぜか涙が出なかったです。ううむ。情が薄いのかな?
祖母のエピソードとして、敗戦後すぐ、買い出しに父を背負って出かけた祖母にMPが「送ってやろうか?」と声をかけたらしい。で、祖母はそれに答えてジープに乗って送ってもらったらしいです。帰りは断ったそうですが。周囲が「なんてあぶないことを」と呆れてたらしいvv
「目を見たら悪い人じゃないとわかった」というのが祖母のいい分だったそうですがvv 度胸はあったのね。
警察官だった祖父について渡った朝鮮から、祖父が抑留(?)されたため当時父とすぐ下の妹だけだったこどもふたりをつれて日本まで帰ってきた経験が、肝を太くしたのかなぁ。
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