昇紘x浅野 桂花視点
2005-02-03(Thu)
ブログってどんなモンかなと、ちょっと試してみることにしました。で、テスト。
最後まで書けるかどうか謎な話を、垂れ流しxx
あたしの名前は桂花(けいか)。ここ、止水郷の郷長さまのお屋敷で働いている。年は十一。あと一月で、十二才になる。
今朝、あたしの心臓は、壊れそうに激しく鳴っている。
だって、目の前に、郷長さまがいるからだ。
郷長さまは、とっても厳しい。厳しくて怖いって噂。そりゃ、あたしは、台所の下働きだから、これまで直接お目にかかるなんてことはなかった。だから、それは、あくまでも、みんなの噂話だ。
そんな郷長さまが、突然、台所なんかにやってきたから、みんな、目を剥いてびっくりしてる。
あたしだってそのうちの一人だったんだけど、
「桂花とはどの娘だ?」
突然、低くてよく聞こえる声に、名前を呼ばれた。
桂花――なんて名前の娘は、ここでは、あたしだけだ。けど、なんで呼ばれたんだろう。なんか、粗相をしたっけ? しかも、郷長さまが直接に来るくらい大変な失敗を。そりゃ、水を溜めるのに時間がかかるとか、お皿を割ったりとか、きれいに盛られた料理を器ごとおっことしたりとか、お使いを間違ったりおつりが少なかったり多かったりとか、いろいろしたことはあるけど。でも、賄い頭には散々お小言を貰ったけど、それは、まだ、ここに来てまだ間がなかったばかりのことだ。今のあたしには、思い当たることなんかなかった。
「桂花、桂花」
ひとつ年上の先輩が、あたしの腰をつんつんと指先でつついてる。
「はやく、手を上げないと」
先輩の声が震えてるのは、仕方がない。
だって、郷長さまって、王さまに許されて、仙になった、と~っても偉いひとなんだもん。あたしたちとは、違うの。
あたしは、みんなとおんなじに土間に平伏――これって、廃止になってるって聞いたことあるんだけど、なんとなく癖になっちゃってるみたいなみんながしてると、つられちゃう――してた顔を、そっと上げた。
そうして、逆らっちゃいけないみたいに強く光ってる目と、目が合っちゃったんだ。
「おまえが、桂花か」
手招かれて、恐る恐る立ち上がった。
「おまえには、今日から別の仕事を与える」
そんなことを言われて、頭の中でぐるぐるしていた疑問に、一気に決着がついた。
けど、別の疑問ができた。
あたしは、ここに買われて来たみたいなもんだ。その時だって、直接郷長さまに連れてこられたわけじゃない。なのに、どーして、今度は、直接郷長さまが来たんだろう。
郷長さまのあとからついていってると、きれいな着物を着た年配のおんなの人に「こっち」と、呼ばれた。
「後は、お任せください」
そう言って、おんなの人は、深々と頭を下げたんだ。
あたしは、訳分からなくって、郷長さまと、おんなの人とを見比べてた。
郷長さまが頷いて奥へと行くと、おんなの人は、あたしを見下ろして、ため息をついた。
「わたくしの名前は、燦玉(さんぎょく)と言います。これから、あなたには間接的にですが、わたくしの下で働いてもらうことになりますから、覚えておきなさい。桂花、あなたは、まず、お風呂に入らなければなりませんね」
そうして、あたしは、見たこともないくらい広いお風呂を使わされた。いちいち燦玉さまが、いろんなものの使い方や名前を説明をしてくれて、頭や耳の後ろもしっかり洗いなさいとか指示もされたけれど、それでも、ゆっくりとお風呂に入れたのが久しぶりで、とっても嬉しかったし、楽しかったんだ。
お風呂から上がったあたしは、着たことがないくらいきれいな着物を渡されて、着かたを教えられながらそれを着た。
髪の毛が乾くまでということで、あたしはこざっぱりしたお部屋に通され、燦玉さまに、これからのあたしの仕事がどんなものか、説明を受けたのだった。
聞いてたんだけど、実物を目の前にすると、とっても緊張する。
そのひとは、あたしのことなんか見てなかった。
先輩が、五日くらい前に、模様替えを手伝ったという部屋に、あたしは通されてた。
広い部屋には火がいこっていて、あたたかい。
そのひとは、豪華な牀榻の壁際に蹲って、ぼんやりしてた。
なんだか、病気みたいに見えた。
「浅野さま」
燦玉さまが、静かに呼びかけた。
けれど、そのひとは、何もきいていないみたいだった。
燦玉さまが、かまわずに続けた。
「これから、浅野さまの身の回りの世話をいたします。桂花と申すものです」
そう言うと、あたしの背中を促すように、押した。
「桂花」
燦玉さまの声に従って、頭を下げたけれど、やっぱり、反応はない。
諦めたような溜め息が、あたしの後ろから聞こえてきた。
「桂花、たのみましたよ」
そう言って、燦玉さまは、部屋を出て行った。
どうしよう。
なにをすればいいんだろう。
いったい、どうして、あたしが、お世話をするように選ばれたんだろう。
だって、あたしは、声が出ない。喋れないのだ。耳は聞こえるから、仕事をするのに、不便はない。けど、喋れないあたしが、特別なひとりのひとに仕えるなんてことができるのだろうか。
『噂は聞いているでしょう。わたくしたちは浅野さまとお呼びしておりますが、彼は、殿さまにご寵愛されております。桂花。あなたがお世話をするのは、そういうかたです。ですが、こちらに来てから、なにも召し上がっておられません。水差しの水は減っていますし、孫医師の煎じたお薬湯は無理にでも、毎回飲んでいただいておりますけれどね。けれど、摂るものが水分だけでは、本当に、病気になってしまわれます。わたくしたちも、心配はしているのですが、ご当人にその気がなければ、どうにもなりません。ともかく、食事は、こちらが毎回運ぶようにしますから、あなたは、浅野さまが楽に過ごせるように、気を配ってください』
燦玉さまは、そう説明してくれた。
ご寵愛というのがどういう意味なのか、わからなかったけど。あたしにわかったのは、とりあえず、五日も食べてないんだから、お腹が減ってるんだろうなということだけだ。
そっと、牀榻に、近づいてみた。
覗き込むと、目が合ったような気がした。
けれど、それだけだ。
浅野さまの視線は、すぐに、あたしから逸れた。言っていいのかなぁ、でも、そう見えたんだもん。浅野さまは、馬鹿みたいに、ぼんやりと、天井を見上げてる。
上掛けで包み込むようにしてくるまっているからだが、よく見れば、ぶるぶると震えている。髪が、乱れている。血の気のない顔の中、薄く開いてるくちびるだけが、うっすらとだけど、赤い。
寒いのかな?
病気になってしまわれます――なんて燦玉さまは言ってたけど、熱があるんじゃないかな? だよね。お薬湯を飲んでるって言ってたんだし………。
横になったほうがいいと思う。
そう。そうだよね。
牀榻の入り口の縁を、あたしは、軽く叩いた。あたしの意思表示だ。あたしがここにいますよとか、入りますよとか、口がきけないからって合図しないと、やっぱりだめだし。
けど、びっくりしちゃった。
あたしが合図した瞬間、浅野さまが、弾かれたように、泣きそうな顔をして首を振ったからだ。
あたしに向けられた、白目が、赤い。
がたがたと、からだの震えが、大きくなる。
怖がってる?
なんで? どうして?
あたしには、わからなかった。
浅野さまは、あたしより、ずいぶんと年上に見えたし、男のひとだし、背だって、あたしよかずっと高そうなのに、なのに、あたしのことを、怖がってる。
あたしの目の前で、浅野さまの両方の目から、涙がこぼれた。
びっくりした。だって、男のひとが目の前で泣くんだもん。そんなの、はじめて見た。
白目が赤いのは、たくさん泣いたからなんだ。
ああ、こすっちゃ、ほっぺたが赤くなる。ひりひりするよ。
咄嗟に、あたしは、牀榻に駆け上がってた。
あたしは、突き出された手を、掴んだ。
それは、ギョッとするくらい細かった。
力なんて、なかった。あたしのほうが、ぜったい強い。
けど、そんなことよりも、もっとびっくりしたのは、腕を掴んだ掌から伝わってくる熱が、めちゃくちゃ高かったってことなんだ。
やっぱり、熱があるじゃない!
寝てないと駄目だ。
ああ、燦玉さまに、お医師を呼んでもらわなきゃ。
その前に、寝させないと。
あたしが浅野さまを引っ張ると、他愛ないくらいあっけなく、浅野さまは、布団の上に横倒しになった。
もう抵抗する気はないみたいだ。目は開いてあたしを見てるけど、震えてるけど、拒絶はなかった。だから、あたしは、浅野さまの寝やすいように、体勢を整えて、上から、掛け布団をかけてあげた。
なんだか、浅野さまって、等身大のお人形みたいだ。お人形遊びなんてしたことないけど、けど、なんか、そんな風に思っちゃったんだ。
掛けた布団の上から、ぽんぽんと、動いちゃ駄目だからねと念を入れるように軽く叩いて、あたしは、燦玉さまを探しに部屋を出ようとした。
でもね、あたしは、部屋から出られなかったんだ。
鍵がかかってたんだ。外から。
なんで?
何度も扉を叩くと、部屋の外、扉の外に立ってたがたいのいい男のひとが、首を傾げるあたしに、少しだけ戸を開けて、石版と蝋石とを差し出した。
「用事があるなら、これに、書いてくれ。部屋の外での用は、俺が足す。部屋から外に出れるのは、おまえの場合は、食事と湯浴みの時だけだ」
場合が場合なので理由を聞かなかった。とにかく、あたしは、石版に、蝋石で、浅野さまがすごい熱なんだ――って、書いた。
これには、男のひとも焦ったらしい。
「わかった」
と、鋭く叫ぶと、どっかに行ったからだ。多分、燦玉さまに言いにいったんだとは思うんだけど。
でも、なんで、あたし、こっから出ちゃ駄目なんだろう。
扉に背もたれて、あたしは、部屋の中を見渡した。
お風呂が外というのは、まぁ、ね、浴室は、外にあるわけだし。浅野さまのお風呂は、あたしが多分、手伝うんだろうし。最初にお風呂に入ったのは、つまり、直接燦玉さまがお風呂の使い方を教えてくれたってわけなんだ。あと、食事の時――郷長さまが、食べ物の匂いが部屋にこもるのを嫌ってるっていうのは知ってる。けど。ここにこもるのもヤなんだ。でも、浅野さまの食事は運ぶって言ってたよねぇ。……体調悪いから、特別ってことなのかな。そういえば、じゃあ、あたしが寝るのって、どこなんだろう。きょろきょろと、部屋の中を見渡してると、牀榻の足元に当たるほうの奥と、牀榻と反対側の壁に、扉があるのが目に入ってきた。両方とも装飾に紛れるような感じであまり目立たない。
足音を立てないように、牀榻の奥の扉に近づいて、あたしは開けた。
違った。
こっちは、衣裳部屋なわけだ。もちろん、浅野さまのだ。そうか、お金持ちになると、男のひとにも衣裳部屋ってあるんだ。部屋には棚や箪笥があって、そのなかに、色んなものがしまいこまれてるんだろう。
で、まぁ、反対側が、どうやら、あたしの部屋らしい。
浅野さまの部屋に比べると、すっごく小さいけど、でも、比べるほうがおかしいんだよね。これまで、ひとりの部屋なんて使ったことなかったから、めちゃくちゃ贅沢だ。寝床と、卓子と椅子と行李。あ、鏡まである。すごい。居心地もよさそうだ。床には敷物も敷いてあるし。今まで先輩たちと雑魚寝してたあたしに、いったいなにが起きたんだろうって、思っちゃう。先輩、羨ましがるんだろうな。でも、なんか、先輩に会うことなんかなさそうだ。だって、外に出れないわけだし。幸運なのやら不幸なのやら、なんか、わかんないよね。
部屋から出たあたしは、牀榻の中の浅野さまのようすを伺った。
はしゃいでる場合じゃなかったって、思い出したんだ。
浅野さまはしんどそうだ。
布を濡らして額を冷やそうか。
布ってどこにあるんだろう。
疑問だった「ご寵愛」の意味がわかったのは、浅野さまの熱が下がった、三日後の夜だった。
毎日、郷長さまが浅野さまをお見舞いにやってきた。
郷長さまって、お忙しい方なんだよ。なのに、朝、お出かけになる前にお顔をお見せになられる、お昼に一度帰ってらっしゃるし、ご帰宅なさって一度でしょ、で、お休みになられる前にも一度。一日に四回も、浅野さまのようすを伺いに、お出でになられるんだ。これって、すごいなって、あたしは思ってた。だから、「ご寵愛」っていうのって、こういうことなんだろうって、勝手に納得してたんだ。
けど、違ったみたい。
あたしは、忘れてたんだ。
それも、「ご寵愛」のうちにはふくまれてるらしいんだけど、浅野さまは、郷長さまのお妾さんなんだって、台所で言われてたことを、すっかり、忘れきっちゃってたんだ。
お妾さんの意味は知ってる。郷長さまには、奥方さまはいないんだけどね。まぁ、上のほうのひとには、色々事情があるんだろう。で、……一応、なにをするかも、知ってるつもりだったりするんだけど、男のひとが男のひとのお妾さんになれるんだってことは、知らなかった。
だから、興味はあったけど、どう考えたってわからなかったから、深く考えたりしなかったんだ。
郷長さまは、昨日一昨日と同じように、牀榻の中の浅野さまをしばらく見ていて、そうして、静かに部屋を出て行った。
それから少しして、浅野さまが、目を覚ました。あたしは、浅野さまの上半身を起こして、羽織るものを着せ掛けた。
お水を差し出すと、震える両手で茶器をつつむようにして、呷った。
少しして食事が運ばれてきたけれど、いつもみたいに浅野さまは、重湯をほんの少し口にしただけだった。そうして、苦い薬湯を飲んだ。
あたしだったら絶対やだけど、浅野さまは、苦いってこと、感じてないみたい。匂いだけでも、苦そうなのに。ただ、決められたことだから仕方がないって感じだった。
よかったって思ったのは、熱が、下がったみたいだったから。
郷長さまも孫先生も、喜んでくれるだろう。
孫先生とそのお弟子さんが、もうすぐ来る頃だった。
あたしは、食器を外の男のひとに渡して、浅野さまの顔を洗って、髪を梳かした。
鏡の中の浅野さまの顔は、頬が、少し扱(こ)けたような気がする。
顔色は、悪い。あいかわらず、血の気がない。
目は、落ち着きがない。あたしは、こういう目を見たことがある。なにかを怖がってるひとの目だ。
なにが怖いんだろう。
不思議だった。だって、浅野さまは、とっても大切にされてる。怖がることなんかなにもないような気がした。
扉外の鈴が鳴らされた。
それだけで、浅野さまが、震える。
視線が、彷徨う。
自分で自分を抱きしめながら、必死になにかをつぶやいている。
扉外の鈴の音の意味は、わかっていたから、あたしは、そんな浅野さまを目の端に映したままで、孫先生とお弟子さんとを迎え入れた。
頭を深々と下げると、
「おお。桂花はいつも元気そうじゃな」
なんて、孫先生が頭をなでてくれる。子ども扱いだなって思うけど、いやな気はしない。
先生の後から入ってくる、助手の漣遠(れんおん)さんは、男前だ。
「おはよう、桂花」
にっこりと笑いかけられると、赤くなっちゃってるのが自分でもわかるし、うっとりしちゃう。はっきり言って、浅野さまよりも、素敵だ。
「さて、患者はどうかの」
孫先生の言葉に、あたしは、にっこりと笑ってみせた。
「そうか。熱が下がったか」
牀榻の中で震えている浅野さまの近くに、孫先生が、膝を進めた。勿論、漣遠さんも、上がっている。そうしなければ、牀榻は案外広いので、診ることができないのだ。
20:03 2005/01/26―21:00 2005/01/30
この話では、まだ、桂花が外に出れない設定のまま。ホントは、案外自由に動ける設定に直そうと考えてたので、『狂恋』の桂花は、孫医師と一緒に昇紘の執務室に行ってたりします。
最後まで書けるかどうか謎な話を、垂れ流しxx
あたしの名前は桂花(けいか)。ここ、止水郷の郷長さまのお屋敷で働いている。年は十一。あと一月で、十二才になる。
今朝、あたしの心臓は、壊れそうに激しく鳴っている。
だって、目の前に、郷長さまがいるからだ。
郷長さまは、とっても厳しい。厳しくて怖いって噂。そりゃ、あたしは、台所の下働きだから、これまで直接お目にかかるなんてことはなかった。だから、それは、あくまでも、みんなの噂話だ。
そんな郷長さまが、突然、台所なんかにやってきたから、みんな、目を剥いてびっくりしてる。
あたしだってそのうちの一人だったんだけど、
「桂花とはどの娘だ?」
突然、低くてよく聞こえる声に、名前を呼ばれた。
桂花――なんて名前の娘は、ここでは、あたしだけだ。けど、なんで呼ばれたんだろう。なんか、粗相をしたっけ? しかも、郷長さまが直接に来るくらい大変な失敗を。そりゃ、水を溜めるのに時間がかかるとか、お皿を割ったりとか、きれいに盛られた料理を器ごとおっことしたりとか、お使いを間違ったりおつりが少なかったり多かったりとか、いろいろしたことはあるけど。でも、賄い頭には散々お小言を貰ったけど、それは、まだ、ここに来てまだ間がなかったばかりのことだ。今のあたしには、思い当たることなんかなかった。
「桂花、桂花」
ひとつ年上の先輩が、あたしの腰をつんつんと指先でつついてる。
「はやく、手を上げないと」
先輩の声が震えてるのは、仕方がない。
だって、郷長さまって、王さまに許されて、仙になった、と~っても偉いひとなんだもん。あたしたちとは、違うの。
あたしは、みんなとおんなじに土間に平伏――これって、廃止になってるって聞いたことあるんだけど、なんとなく癖になっちゃってるみたいなみんながしてると、つられちゃう――してた顔を、そっと上げた。
そうして、逆らっちゃいけないみたいに強く光ってる目と、目が合っちゃったんだ。
「おまえが、桂花か」
手招かれて、恐る恐る立ち上がった。
「おまえには、今日から別の仕事を与える」
そんなことを言われて、頭の中でぐるぐるしていた疑問に、一気に決着がついた。
けど、別の疑問ができた。
あたしは、ここに買われて来たみたいなもんだ。その時だって、直接郷長さまに連れてこられたわけじゃない。なのに、どーして、今度は、直接郷長さまが来たんだろう。
郷長さまのあとからついていってると、きれいな着物を着た年配のおんなの人に「こっち」と、呼ばれた。
「後は、お任せください」
そう言って、おんなの人は、深々と頭を下げたんだ。
あたしは、訳分からなくって、郷長さまと、おんなの人とを見比べてた。
郷長さまが頷いて奥へと行くと、おんなの人は、あたしを見下ろして、ため息をついた。
「わたくしの名前は、燦玉(さんぎょく)と言います。これから、あなたには間接的にですが、わたくしの下で働いてもらうことになりますから、覚えておきなさい。桂花、あなたは、まず、お風呂に入らなければなりませんね」
そうして、あたしは、見たこともないくらい広いお風呂を使わされた。いちいち燦玉さまが、いろんなものの使い方や名前を説明をしてくれて、頭や耳の後ろもしっかり洗いなさいとか指示もされたけれど、それでも、ゆっくりとお風呂に入れたのが久しぶりで、とっても嬉しかったし、楽しかったんだ。
お風呂から上がったあたしは、着たことがないくらいきれいな着物を渡されて、着かたを教えられながらそれを着た。
髪の毛が乾くまでということで、あたしはこざっぱりしたお部屋に通され、燦玉さまに、これからのあたしの仕事がどんなものか、説明を受けたのだった。
聞いてたんだけど、実物を目の前にすると、とっても緊張する。
そのひとは、あたしのことなんか見てなかった。
先輩が、五日くらい前に、模様替えを手伝ったという部屋に、あたしは通されてた。
広い部屋には火がいこっていて、あたたかい。
そのひとは、豪華な牀榻の壁際に蹲って、ぼんやりしてた。
なんだか、病気みたいに見えた。
「浅野さま」
燦玉さまが、静かに呼びかけた。
けれど、そのひとは、何もきいていないみたいだった。
燦玉さまが、かまわずに続けた。
「これから、浅野さまの身の回りの世話をいたします。桂花と申すものです」
そう言うと、あたしの背中を促すように、押した。
「桂花」
燦玉さまの声に従って、頭を下げたけれど、やっぱり、反応はない。
諦めたような溜め息が、あたしの後ろから聞こえてきた。
「桂花、たのみましたよ」
そう言って、燦玉さまは、部屋を出て行った。
どうしよう。
なにをすればいいんだろう。
いったい、どうして、あたしが、お世話をするように選ばれたんだろう。
だって、あたしは、声が出ない。喋れないのだ。耳は聞こえるから、仕事をするのに、不便はない。けど、喋れないあたしが、特別なひとりのひとに仕えるなんてことができるのだろうか。
『噂は聞いているでしょう。わたくしたちは浅野さまとお呼びしておりますが、彼は、殿さまにご寵愛されております。桂花。あなたがお世話をするのは、そういうかたです。ですが、こちらに来てから、なにも召し上がっておられません。水差しの水は減っていますし、孫医師の煎じたお薬湯は無理にでも、毎回飲んでいただいておりますけれどね。けれど、摂るものが水分だけでは、本当に、病気になってしまわれます。わたくしたちも、心配はしているのですが、ご当人にその気がなければ、どうにもなりません。ともかく、食事は、こちらが毎回運ぶようにしますから、あなたは、浅野さまが楽に過ごせるように、気を配ってください』
燦玉さまは、そう説明してくれた。
ご寵愛というのがどういう意味なのか、わからなかったけど。あたしにわかったのは、とりあえず、五日も食べてないんだから、お腹が減ってるんだろうなということだけだ。
そっと、牀榻に、近づいてみた。
覗き込むと、目が合ったような気がした。
けれど、それだけだ。
浅野さまの視線は、すぐに、あたしから逸れた。言っていいのかなぁ、でも、そう見えたんだもん。浅野さまは、馬鹿みたいに、ぼんやりと、天井を見上げてる。
上掛けで包み込むようにしてくるまっているからだが、よく見れば、ぶるぶると震えている。髪が、乱れている。血の気のない顔の中、薄く開いてるくちびるだけが、うっすらとだけど、赤い。
寒いのかな?
病気になってしまわれます――なんて燦玉さまは言ってたけど、熱があるんじゃないかな? だよね。お薬湯を飲んでるって言ってたんだし………。
横になったほうがいいと思う。
そう。そうだよね。
牀榻の入り口の縁を、あたしは、軽く叩いた。あたしの意思表示だ。あたしがここにいますよとか、入りますよとか、口がきけないからって合図しないと、やっぱりだめだし。
けど、びっくりしちゃった。
あたしが合図した瞬間、浅野さまが、弾かれたように、泣きそうな顔をして首を振ったからだ。
あたしに向けられた、白目が、赤い。
がたがたと、からだの震えが、大きくなる。
怖がってる?
なんで? どうして?
あたしには、わからなかった。
浅野さまは、あたしより、ずいぶんと年上に見えたし、男のひとだし、背だって、あたしよかずっと高そうなのに、なのに、あたしのことを、怖がってる。
あたしの目の前で、浅野さまの両方の目から、涙がこぼれた。
びっくりした。だって、男のひとが目の前で泣くんだもん。そんなの、はじめて見た。
白目が赤いのは、たくさん泣いたからなんだ。
ああ、こすっちゃ、ほっぺたが赤くなる。ひりひりするよ。
咄嗟に、あたしは、牀榻に駆け上がってた。
あたしは、突き出された手を、掴んだ。
それは、ギョッとするくらい細かった。
力なんて、なかった。あたしのほうが、ぜったい強い。
けど、そんなことよりも、もっとびっくりしたのは、腕を掴んだ掌から伝わってくる熱が、めちゃくちゃ高かったってことなんだ。
やっぱり、熱があるじゃない!
寝てないと駄目だ。
ああ、燦玉さまに、お医師を呼んでもらわなきゃ。
その前に、寝させないと。
あたしが浅野さまを引っ張ると、他愛ないくらいあっけなく、浅野さまは、布団の上に横倒しになった。
もう抵抗する気はないみたいだ。目は開いてあたしを見てるけど、震えてるけど、拒絶はなかった。だから、あたしは、浅野さまの寝やすいように、体勢を整えて、上から、掛け布団をかけてあげた。
なんだか、浅野さまって、等身大のお人形みたいだ。お人形遊びなんてしたことないけど、けど、なんか、そんな風に思っちゃったんだ。
掛けた布団の上から、ぽんぽんと、動いちゃ駄目だからねと念を入れるように軽く叩いて、あたしは、燦玉さまを探しに部屋を出ようとした。
でもね、あたしは、部屋から出られなかったんだ。
鍵がかかってたんだ。外から。
なんで?
何度も扉を叩くと、部屋の外、扉の外に立ってたがたいのいい男のひとが、首を傾げるあたしに、少しだけ戸を開けて、石版と蝋石とを差し出した。
「用事があるなら、これに、書いてくれ。部屋の外での用は、俺が足す。部屋から外に出れるのは、おまえの場合は、食事と湯浴みの時だけだ」
場合が場合なので理由を聞かなかった。とにかく、あたしは、石版に、蝋石で、浅野さまがすごい熱なんだ――って、書いた。
これには、男のひとも焦ったらしい。
「わかった」
と、鋭く叫ぶと、どっかに行ったからだ。多分、燦玉さまに言いにいったんだとは思うんだけど。
でも、なんで、あたし、こっから出ちゃ駄目なんだろう。
扉に背もたれて、あたしは、部屋の中を見渡した。
お風呂が外というのは、まぁ、ね、浴室は、外にあるわけだし。浅野さまのお風呂は、あたしが多分、手伝うんだろうし。最初にお風呂に入ったのは、つまり、直接燦玉さまがお風呂の使い方を教えてくれたってわけなんだ。あと、食事の時――郷長さまが、食べ物の匂いが部屋にこもるのを嫌ってるっていうのは知ってる。けど。ここにこもるのもヤなんだ。でも、浅野さまの食事は運ぶって言ってたよねぇ。……体調悪いから、特別ってことなのかな。そういえば、じゃあ、あたしが寝るのって、どこなんだろう。きょろきょろと、部屋の中を見渡してると、牀榻の足元に当たるほうの奥と、牀榻と反対側の壁に、扉があるのが目に入ってきた。両方とも装飾に紛れるような感じであまり目立たない。
足音を立てないように、牀榻の奥の扉に近づいて、あたしは開けた。
違った。
こっちは、衣裳部屋なわけだ。もちろん、浅野さまのだ。そうか、お金持ちになると、男のひとにも衣裳部屋ってあるんだ。部屋には棚や箪笥があって、そのなかに、色んなものがしまいこまれてるんだろう。
で、まぁ、反対側が、どうやら、あたしの部屋らしい。
浅野さまの部屋に比べると、すっごく小さいけど、でも、比べるほうがおかしいんだよね。これまで、ひとりの部屋なんて使ったことなかったから、めちゃくちゃ贅沢だ。寝床と、卓子と椅子と行李。あ、鏡まである。すごい。居心地もよさそうだ。床には敷物も敷いてあるし。今まで先輩たちと雑魚寝してたあたしに、いったいなにが起きたんだろうって、思っちゃう。先輩、羨ましがるんだろうな。でも、なんか、先輩に会うことなんかなさそうだ。だって、外に出れないわけだし。幸運なのやら不幸なのやら、なんか、わかんないよね。
部屋から出たあたしは、牀榻の中の浅野さまのようすを伺った。
はしゃいでる場合じゃなかったって、思い出したんだ。
浅野さまはしんどそうだ。
布を濡らして額を冷やそうか。
布ってどこにあるんだろう。
疑問だった「ご寵愛」の意味がわかったのは、浅野さまの熱が下がった、三日後の夜だった。
毎日、郷長さまが浅野さまをお見舞いにやってきた。
郷長さまって、お忙しい方なんだよ。なのに、朝、お出かけになる前にお顔をお見せになられる、お昼に一度帰ってらっしゃるし、ご帰宅なさって一度でしょ、で、お休みになられる前にも一度。一日に四回も、浅野さまのようすを伺いに、お出でになられるんだ。これって、すごいなって、あたしは思ってた。だから、「ご寵愛」っていうのって、こういうことなんだろうって、勝手に納得してたんだ。
けど、違ったみたい。
あたしは、忘れてたんだ。
それも、「ご寵愛」のうちにはふくまれてるらしいんだけど、浅野さまは、郷長さまのお妾さんなんだって、台所で言われてたことを、すっかり、忘れきっちゃってたんだ。
お妾さんの意味は知ってる。郷長さまには、奥方さまはいないんだけどね。まぁ、上のほうのひとには、色々事情があるんだろう。で、……一応、なにをするかも、知ってるつもりだったりするんだけど、男のひとが男のひとのお妾さんになれるんだってことは、知らなかった。
だから、興味はあったけど、どう考えたってわからなかったから、深く考えたりしなかったんだ。
郷長さまは、昨日一昨日と同じように、牀榻の中の浅野さまをしばらく見ていて、そうして、静かに部屋を出て行った。
それから少しして、浅野さまが、目を覚ました。あたしは、浅野さまの上半身を起こして、羽織るものを着せ掛けた。
お水を差し出すと、震える両手で茶器をつつむようにして、呷った。
少しして食事が運ばれてきたけれど、いつもみたいに浅野さまは、重湯をほんの少し口にしただけだった。そうして、苦い薬湯を飲んだ。
あたしだったら絶対やだけど、浅野さまは、苦いってこと、感じてないみたい。匂いだけでも、苦そうなのに。ただ、決められたことだから仕方がないって感じだった。
よかったって思ったのは、熱が、下がったみたいだったから。
郷長さまも孫先生も、喜んでくれるだろう。
孫先生とそのお弟子さんが、もうすぐ来る頃だった。
あたしは、食器を外の男のひとに渡して、浅野さまの顔を洗って、髪を梳かした。
鏡の中の浅野さまの顔は、頬が、少し扱(こ)けたような気がする。
顔色は、悪い。あいかわらず、血の気がない。
目は、落ち着きがない。あたしは、こういう目を見たことがある。なにかを怖がってるひとの目だ。
なにが怖いんだろう。
不思議だった。だって、浅野さまは、とっても大切にされてる。怖がることなんかなにもないような気がした。
扉外の鈴が鳴らされた。
それだけで、浅野さまが、震える。
視線が、彷徨う。
自分で自分を抱きしめながら、必死になにかをつぶやいている。
扉外の鈴の音の意味は、わかっていたから、あたしは、そんな浅野さまを目の端に映したままで、孫先生とお弟子さんとを迎え入れた。
頭を深々と下げると、
「おお。桂花はいつも元気そうじゃな」
なんて、孫先生が頭をなでてくれる。子ども扱いだなって思うけど、いやな気はしない。
先生の後から入ってくる、助手の漣遠(れんおん)さんは、男前だ。
「おはよう、桂花」
にっこりと笑いかけられると、赤くなっちゃってるのが自分でもわかるし、うっとりしちゃう。はっきり言って、浅野さまよりも、素敵だ。
「さて、患者はどうかの」
孫先生の言葉に、あたしは、にっこりと笑ってみせた。
「そうか。熱が下がったか」
牀榻の中で震えている浅野さまの近くに、孫先生が、膝を進めた。勿論、漣遠さんも、上がっている。そうしなければ、牀榻は案外広いので、診ることができないのだ。
20:03 2005/01/26―21:00 2005/01/30
この話では、まだ、桂花が外に出れない設定のまま。ホントは、案外自由に動ける設定に直そうと考えてたので、『狂恋』の桂花は、孫医師と一緒に昇紘の執務室に行ってたりします。
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